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台風15号の影響により、鎌倉のハイキングコースに大きな被害が出ています。
詳しくは、鎌倉市役所が発表している情報をご覧ください。

台風15号の影響に伴うハイキングコースの状況について

衣張山ハイキングコース

源頼朝が夏の暑い日に、白い衣で山を覆って雪山に見立てたという伝説が残る衣張山(きぬばりやま)には、複数の登山ルートがあります。鎌倉最古の寺、杉本寺方面から登るコースはなかなかハード。山頂は、映画「海街ダイアリー」のロケに使われました。

衣張山山頂からの眺め

鎌倉最古の寺からスタート

まずは、杉本寺へ

まずは、杉本寺へ

鎌倉駅東口の5番バス乗り場から京急バス「金沢八景駅」行き、「鎌倉霊園正門前太刀洗」行き、「ハイランド循環」のいずれかに乗り、「杉本観音」バス停で下車。まずは、杉本寺(杉本観音)を参拝します。
杉本寺は、鎌倉で最も古い歴史を持つお寺です。寺伝によれば、奈良時代の天平6(734)年の創建。坂東三十三観音霊場・鎌倉三十三観音霊場の第一番札所。苔むした石段や、茅葺屋根(かやぶきやね)のひなびた雰囲気の本堂など、いかにも山寺らしい風情のあるお寺です。

杉本観音の名前の由来は?

杉本観音の名前の由来は?

本堂には、行基作、慈覚大師円仁作、恵心僧都(えしんそうず)作と伝わる3体の十一面観音像が、本尊として安置されています。鎌倉時代初期の火災のときに、この3体の十一面観音像が、自ら境内の杉の木の下に避難して火を避けたという伝説から「杉本観音」と呼ばれるようになりました。

上杉邸址の石碑

上杉邸址の石碑

杉本寺の門前を流れる滑川(なめりかわ)に架かる犬懸橋を渡ります。橋から150メートル程行くと、「上杉朝宗(ともむね)及氏憲(うじのり)邸址」と書かれた石碑の立つ四つ角があります。
鎌倉幕府が滅び、室町時代になると鎌倉には「鎌倉府」が置かれ、その長を鎌倉公方(くぼう)と呼びました。上杉朝宗と、その子の上杉氏憲(禅秀)は、ともに鎌倉公方の執事である「関東管領」の職に就き、この場所に屋敷を構えていました。しかし、氏憲は後に、鎌倉公方の足利持氏と対立し、「上杉禅秀の乱」を起こしますが、敗れて自刃したことが石碑に書かれています。

衣張山登山

平成巡礼道

平成巡礼道

上杉邸址の石碑の奥に続く道が、衣張山(きぬばりやま)登山口へと続く道。鎌倉市が設置した道標の下に「平成巡礼道 衣張山まで15分」と案内が出ています。
この道をしばらく行くと、途中から道が狭くなり、木立に囲まれた衣張山の登山道に入ります。登山口から10分程登ると道は二手に分かれ、左は鎌倉の山側の景色を眺めながら登る展望コース、右は一気に山頂を目指すコースです。この杉本寺方面からの登山道は、鎌倉の山にしては、なかなかハードです。

衣張山山頂からの眺め

衣張山山頂からの眺め

衣張山山頂(標高121m)の広場は大変見晴らしがよく、鎌倉市街を一望でき、三方を山、南を海に囲まれた鎌倉の地形がよく分かります。秋から冬にかけての天気の良い日には、鎌倉市街の遥か向こうに富士山も見ることができます。
「衣張山」の名は、頼朝と夫人の政子が、夏の暑い日にこの山を白絹で覆い、冬山に見立て涼をとったという伝説に由来。おそらくは、当時の彼らの権力を象徴的に伝えるために、後の時代に創作された話であろうと思われます。
ちなみに、この場所は、映画『海街diary』のロケ地にもなりました。

ハイランド側登山口

ハイランド側登山口

衣張山山頂からいくつかのアップダウンを越えながら山道を行くと、ハイランド住宅地の一角にある「ハイランド側登山口」に出ます。
ここから「巡礼古道」を通り、報国寺(竹寺)方面に下りていくコース、名越切通し方面へ歩くコースが分かれます。「巡礼古道」とは、観音信仰が盛んだった頃、「坂東三十三観音霊場」の第一番札所の杉本寺から、逗子市にある第二番の岩殿寺(がんでんじ)へと通じる巡礼道の名残りで、古道の雰囲気がよく残っています。今回は、名越切通し方面へ進みましょう。

名越切通しを目指して

関東の富士見百景

関東の富士見百景

道標に従って「大切岸、名越切通し」方面に進んで行くと、南側の眺望が開け、「かまくら幼稚園」裏手の「関東の富士見百景」のビューポイントに到着。
ちなみに、ここから徒歩5分の場所には、 「夕陽台公園」バス停があるので、バスで鎌倉駅または逗子駅に帰ることも可能です。

鎌倉市子ども自然ふれあいの森へ

鎌倉市子ども自然ふれあいの森へ

公衆トイレの先から、車止めのある道へと入っていきます。ここから先は、「鎌倉市子ども自然ふれあいの森」という公園になっています。
少し行くと、道が左右二手に分かれています。左の水色のフェンスがあるほうではなく、右へと進みましょう。すぐに、右手に「パノラマ台」という展望台へ続く道が分かれます。

パノラマ台

パノラマ台

パノラマ台」と名付けられた小さな展望台からは、ほぼ360度景色を見渡すことができます。西側には鎌倉市街と由比ヶ浜の向こうに冬の晴れた日であれば富士山が見えます。中央やや左、稲村ヶ崎の向こうに浮かぶのは江の島。東側は、逗子市街と逗子海岸、手前には法性寺の山などが見えます。
パノラマ台からの眺望を存分に楽しんだら、先ほどの道に戻ります。

お猿畠の大切岸

お猿畠の大切岸

ここからしばらくは、雑木林の中を淡々と歩いて行く感じです。10分ほど歩いて行くと、左手が崖になり、景色が開けます。崖下に下りられる道があるので、下りて行ってみましょう。
この断崖は「お猿畠の大切岸(おおきりぎし)」と呼ばれ、長さ約800mにもわたって続いています。つい最近まで、この大切岸は、執権・北条氏が、三浦半島を拠点とする宿敵・三浦氏の侵入に備え、人工的に山肌を削って造営した防御施設であると説明されてきました。しかし、発掘調査が進むにつれ、建物の基礎等に使う鎌倉石の石切場の遺構であることが判明。歴史好きには、少しガッカリするニュースとなりました。

法性寺

法性寺

大切岸は、法性寺というお寺の裏山にあり、法性寺境内を通り抜けて、逗子駅方面に下りていくことも可能です。
日蓮聖人が布教活動の拠点としていた鎌倉の松葉ヶ谷(まつばがやつ)の草庵を念仏宗の信者に焼き討ちされた際(松葉ヶ谷法難)、白猿に導かれて法性寺の辺りまで逃れてきたという伝説にちなみ、法性寺の扁額には白猿の彫り物があります。
今回は、もう少し山歩きを続けるため、ハイキングコースに戻ります。

分かれ道

分かれ道

大切岸から、山道を10分ほど歩くと、「国指定史跡 名越の切通し」という標識が立ち、道が二手に分かれている場所があります。しかし、ここが目指す場所ではありません。道標が出ているので、「名越切通 まんだら堂やぐら群」と書いてある方へ進みましょう。

まんだら堂やぐら群

まんだら堂やぐら群

しばらく行くと、「まんだら堂やぐら群」の入口前を通過します。「やぐら」とは、中世につくられた横穴式の墓地。鎌倉は土地が狭いため、山肌に横穴を掘り墓地をつくりました。「やぐら」に埋葬されたのは、武士や僧侶など比較的身分の高い階級だったようです。
「まんだら堂やぐら群」は保存状態が良く、現在150以上の横穴が確認されており、毎年、春秋の期間限定で公開されています。

名越の切通し

名越の切通し

「まんだら堂やぐら群」の先に現れるのが、迫力ある切通しの景観です。「切通し」とは、南を海、その他の三方を山に囲まれた天然の要塞都市・鎌倉において、物資や人々の往来のために人工的に山を掘削して通した道路のこと。
主な切通しは「鎌倉七口」と呼ばれ、7ヶ所ありますが、名越の切通しは三浦半島方面に通じる幹線道路として、明治の初めの頃まで長い間使われました。

ちょっと足を伸ばして

披露山公園へ

披露山公園へ

名越の切通しのすぐ先で、道は亀が岡団地に出ます。逗子駅方面へのバスが出ている「亀が岡団地北」バス停までは、ここから徒歩2分。
もし、時間に余裕があるならば、逗子市の絶景スポット「披露山公園」まで足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。亀ヶ岡団地から「披露山公園」への徒歩ルートは、下記の地図をご覧ください。
「披露山公園」からの帰りは、「披露山入口」バス停から鎌倉駅行き、逗子駅行きのバスが出ています。

アクセス

モデルコース データ
徒歩区間の距離 約3.5km(「杉本観音」バス停~平成巡礼道~衣張山~ハイランド住宅地~名越切通し~「亀が岡団地北」バス停
コース所要時間 2時間~2時間半
注意点など
  • 所要時間は、あくまでも目安です。鎌倉は季節によっては大変混雑し、お店や施設に入りにくくなることもあります。
  • ハイキングコースを歩きます。歩きやすい服装、靴でお越しください。