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鎌倉に残る唯一の尼寺

英勝寺の歴史

英勝寺の歴史

英勝寺は、江戸城を築城したことで知られる室町時代の武将、太田道灌(おおたどうかん)の屋敷跡に、道灌の子孫で徳川家康の側室のお勝の方(英勝院)が、家康の死後、落飾し、寛永13年(1636)に創建しました。英勝院が水戸徳川家初代・徳川頼房の養母を務めたことから、代々、水戸徳川家の姫君が住職を務め、「水戸様の尼寺」と呼ばれ、高い格式を誇りました。正式名称は、東光山英勝寺。

英勝院のエピソード

英勝院には、その人柄を伝える、次のようなエピソードがあります。

ある時、家康が家臣を広間に集め、「この世で一番うまいものは何か」と聞いたところ、家臣が様々なものを挙げる中、最後に、お勝は「それは塩でございます。」と答えました。理由を問われると、「どんな料理でも塩で味を調えないことには美味しくありませんから」といいます。

続けて家康が「では、一番まずいものはなにか」と問うと、「それも塩でございます。どんなに美味しいものでも、塩加減を誤れば、しょっぱくて食べれませんから」と答えたといいます。

このように聡明だったため、家康にとても気に入られ、戦の陣中にも常に伴われました。この娘を連れて行くと必ず戦に勝つことから、もとは「お梶」という名前でしたが、「お勝」という名を賜ったのだそうです。

英勝寺は、現在、鎌倉市内に残る唯一の尼寺です。尼寺らしく、境内には四季折々の花が咲きますが、中でも美しいのが、春先に咲く見事な白フジです。

英勝寺の建造物

英勝寺の建造物

英勝寺の建造物は、山門や庫裏は関東大震災で倒壊したものの、仏殿や鐘楼は、江戸初期の創建当時のままの姿を今に伝えます。

鐘楼は、「袴腰付楼閣形式」という袴をはいた人が立っているような、かわいらしい姿をしています。格式の高いお寺にのみ許される形式だそうで、鎌倉では、この英勝寺のみ。

関東大震災で倒壊した山門は、長い間、鎌倉市内の個人宅に保存されていましたが、平成23年5月、英勝寺境内に再建・落慶しました(写真)。

英勝寺 その他のチェックポイント

仏殿の蟇股

仏殿の蟇股

仏殿の蟇股(かえるまた)には十二支の動物が、見事に彫刻されており、要チェックです。また、仏殿にまつられている本尊・阿弥陀三尊立像は運慶の作と伝わります。

英勝寺門前の道

英勝寺門前の道

英勝寺を出て左手に進むと、路傍に『十六夜日記』の作者、阿仏尼の墓があります。また、横須賀線を挟んで反対側にある浄光明寺には、阿仏尼の子で、歌道の名門、冷泉(れいぜい)家の祖、冷泉為相(ためすけ)の墓があります。母と子の墓が、線路に隔てられているのことに、少々悲しい思いがします。

基本情報

宗派:浄土宗
住所:鎌倉市扇ガ谷1-16-3
電話番号:0467-22-3534
拝観料・拝観時間:鎌倉市観光協会ホームページ
アクセス:JR・江ノ島電鉄「鎌倉駅西口」徒歩15分
地図:Google マップ
公式ホームページ:-

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