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鎌倉文学散歩、まずは吉屋信子記念館へ

今回は、江ノ電に乗って、出かけます。

山あり、海あり、風情あふれる古寺あり。風光明媚な江ノ電沿線には、素敵な散歩路がたくさんありますが、今回は、由比ヶ浜・長谷エリアの鎌倉の文学にまつわる史跡や記念館をめぐる散策を楽しみたいと思います。

鎌倉から江ノ電に乗り、3駅目の由比ヶ浜駅でおります。

由比ヶ浜駅

(写真:由比ヶ浜駅)

改札を出て左に行くと海なのですが、山側に歩いて行きます。駅前通りといっても住宅地内の細道です。この道をしばらく行くと、「文学館入口」交差点でバス通り(由比ガ浜通り)と交わります。

交差点を渡ってさらに少し進むと、正面の山裾に青色屋根の鎌倉文学館の洋館が見えてきます。あとで文学館へも立ち寄りますが、まずは少し手前の右手の路地に入って行きましょう。

しばらく行くと住宅地の中に、立派な瓦屋根のお屋敷の塀が左側に見えてきます。このお宅は、『女人平家』などの作品で知られる小説家の故・吉屋信子の旧居で、現在は「吉屋信子記念館」になっている建物。

吉屋信子記念館門構え

(写真:吉屋信子記念館門構え)

吉屋信子は昭和14年に鎌倉の大仏近くに別荘を設け、この鎌倉の別荘に戦争中疎開しますが、昭和25年に東京に転居します。

吉屋信子記念館建物外観

(写真:吉屋信子記念館建物外観)

しかし、昭和37年に都会の喧騒を逃れて、ふたたび鎌倉に戻ってきます。そして、この場所に新居を建て、没年まで居住しました。

晩年を飾る歴史小説『徳川の夫人たち』、『続徳川の夫人たち』、『女人平家』はここで執筆されました。

吉屋信子記念館書斎

(写真:吉屋信子記念館書斎)

記念館は、原則、決められた公開日のみの公開ですが、事前に申し込めば公開日以外の見学も可能です。

■問い合わせ先
鎌倉市役所教育部教育総務課生涯学習センター
電話番号:0467-25-2030
鎌倉市ホームページ

鎌倉文学館へ

さて、次は鎌倉文学館に行ってみましょう。

鎌倉文学館の洋館は、明治23年頃、加賀百万石で有名な旧前田侯爵家の別邸としてこの地に和風建築の館が建てられ、「聴濤山荘」と名づけられたのがはじまり。

「招鶴洞」と名付けられたアプローチのトンネル

(写真:「招鶴洞」と名付けられたアプローチのトンネル)

その後、火災による焼失や関東大震災での倒壊を経て、昭和11年に現在まで残る洋館が完成。

戦後はデンマーク公使が別荘に借用。昭和39年からは佐藤栄作元首相が借りて、亡くなる前まで週末別邸として使用しました。

昭和58年に建物が鎌倉市に寄贈され、改築後、昭和60年より鎌倉文学館として一般公開を開始しました。

鎌倉文学館

(写真:鎌倉文学館)

鎌倉は、その温暖で風光明媚な土地柄から、明治・大正・昭和、そして平成に至るまで、数多くの文学者や芸術家が訪れ、また居住しました。

鎌倉に居住して活躍した文学者のことを「鎌倉文士」といいますが、鎌倉文学館では、鎌倉文士や鎌倉にゆかりのある文豪の著書、原稿、愛用品などを展示しています。

鎌倉にゆかりの深い文学者といえば、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、大佛次郎、里見弴(とん)、与謝野晶子、高浜虚子、小林秀雄など枚挙にいとまがありません。

鎌倉文学館談話室からの眺め

(写真:鎌倉文学館談話室からの眺め)

上の写真は、前田家の別邸だった当時、寝室として使われていたという談話室。窓からは海が見えます。

南を海に面し、山を背負う鎌倉文学館の立地は、海と山に囲まれた鎌倉の地形のミニチュアのようだとも言われます。

ローズガーデン

(写真:ローズガーデン)

なお、文学館の庭園の一角には600㎡近いバラ園があり、200株以上が、春・秋の年2回、花を咲かせます。春は5月中旬から6月にかけて、秋は10月中旬から11月にかけて見頃を迎えます。

甘縄神明神社へ

文学館を出たら、今度はさっきとは逆の、文学館を背にして右手の住宅地に入っていきます。

ちょっと行くと、右側に「長谷子ども会館」(旧諸戸邸・鎌倉市景観重要建築物指定)の洋館が見えてきます。更にその先の路地を進むと、鎌倉最古の神社、甘縄神明神社の鳥居の前に出ます。

ちなみに、鳥居に向って左手の路地の奥にある家は、川端康成の旧邸(川端康成記念会・非公開)です。

甘縄神明神社

(写真:甘縄神明神社)

甘縄神明神社は、和銅年間(八世紀初頭)の創建と伝わる、鎌倉最古の神社。境内には「北条時宗産湯の井」などがあります。また、社殿前からの由比ヶ浜を一望する景色はおすすめ。

神社の境内に入りますと、『万葉集』の歌碑が立っています。ちょっと読んでみましょう。

 鎌倉の 御輿(みこし)の崎の 石崩(いわくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ

意味は、鎌倉の見越しの崎の岩が崩れるような、あなたが後悔なさるような浅い心など、私は決して持ちませんわ。

という恋心を詠んだ歌です。鎌倉地方の岩盤はもろくて崩れやすく、大雨の後などに、時々土砂崩れが発生したりします。これを人の心のもろさ・移り気に掛けたわけです。ちなみに、「見越しの崎」というのは、稲村ヶ崎のことだと推定されます。

海に突き出た稲村ヶ崎

(写真:海に突き出た稲村ヶ崎)

奈良時代に成立した『万葉集』には、意外かもしれませんが、この歌を含め、鎌倉を詠んだ歌が3首おさめられています。 他の2首もついでにご紹介しますと、

 ま愛(がな)しみ、さ寝に吾(わ)は行く、鎌倉の、美奈瀬河(みなのせがは)に、潮満つなむか

歌意は、(あの娘が)とても可愛いくて、夜を共にしに行こう。鎌倉の美奈瀬川(みなのせがは)には潮が満ちてはいないだろうか。

とても牧歌的な、これも恋心を詠んだ歌です。当時の東国は、都から遠く離れた地。男女の関係というのも、この歌のようにかなり開けっぴろげな感じだったのでしょうね。

ちなみに、歌の中に出てくる「美奈瀬川」は、現在の稲瀬川のことだと推定されます。

「稲瀬川」の石碑

(写真:「稲瀬川」の石碑)

最後の歌は、

 薪(たきぎ)伐(こ)る、鎌倉山の、木(こ)垂(だ)る木を、松と汝(な)が言はば、恋(こ)ひつつやあらむ

歌意は、薪を樵る繁った木々を、松/待つと貴女が言ってくれたならば、なんで私はここで恋しく思い続けているでしょうか(すぐにでも貴女を訪ねて行きましょう)。

歌の中に、「鎌倉山」という名称が出てきます。時々、この「鎌倉山」は現在の西鎌倉の地名「鎌倉山」と関係あるのかと質問されますが、「鎌倉山住宅地」が開発されたのは昭和になってからで、ネーミングされたのもそのときです。

鎌倉周辺の山々

(写真:鎌倉周辺の山々。六国見山展望台より)

『万葉集』の鎌倉山は別の場所、または鎌倉周辺の山々くらいの意味と考えていただければよいと思います。

大仏さまへ

甘縄神明神社から、長谷観音大仏さま(高徳院 鎌倉大仏)までは目と鼻の先です。次は、大仏さまへ行ってみましょう。

朝靄の中の鎌倉大仏

(写真:朝靄の中の鎌倉大仏)

写真は、早朝7:00に撮影。夜の間降り続いていた雨が小雨になったばかりで、大仏も背後の山も濃い靄(もや)がかかり、あたかも墨絵のような趣。(2014年現在、大仏の拝観は、朝8:00~に変更になっています)

ライトアップされた大仏

(写真:ライトアップされた大仏。ライトアップは特別な場合のみ行われます)

明治37年、この大仏の拝観に訪れたのが、歌集『みだれ髪』などで知られる女流歌人・与謝野晶子。そのときに詠んだのが次の歌。

 かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼(しゃかむに)は 美男におはす 夏木立かな

大仏さまも「美男」にしてしまうところが、情熱の歌人・晶子らしいですね。

ところで、大仏さまが「鎌倉の美男」だとすると、「鎌倉の美女」は、誰でしょう?

私は、北鎌倉の東慶寺の水月観音さまかなと思っていますが、皆さんはどうでしょうか。

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